長野県諏訪市上諏訪 城址碑地図 --城址碑-- |
別名 | 高島城・古城 |
交通 | JR中央本線「上諏訪駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 15世紀頃 |
築城者 | |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 諏訪頼忠 |
築城年代は明らかではないが、1483年(文明15)下社大祝金刺氏に攻め落とされた記録がある事から、下社との対立が激しくなった15世紀前後、上社勢力により築かれたと考えられる。 1542年(天文11)7月、武田晴信が諏訪に侵攻し、諏訪氏を滅ぼすと、諏訪郡代として重臣板垣信方を上原城に置き、諏訪統治の本拠とした。しかし1548年(天文17)上田原合戦において信方が討死した事、また林大城主小笠原氏や諏訪西方衆に対応する為、茶臼山城を修築すると上原城からこの地に本拠を移し、南麓の岡村に代官所を設けて長坂氏を置いた。 1582(天正10)武田家滅亡後、甲斐・信濃諏訪郡の領主となった河尻秀隆の代官弓削重蔵が入るが、本能寺の変後、旧領を回復した諏訪頼忠が入城した。 1584年(天正12)頼忠は金子城に移り、次いで1590年(天正18)徳川家康に従って関東へ転封になると、豊臣秀吉から諏訪を与えられた日根野高吉が入城した。そして1592年(文禄1)高島城の築城を開始して移った後、茶臼山城は廃城となった。 一帯は団地となり、西側斜面、手長神社裏手に帯曲輪が残されている。周辺には出城として立石砦や天神山城が築かれていたが、遺構は残されていない。 |
西下に建つ手長神社 | 手長神社裏手に残る帯曲輪 | 茶臼山頂上に立つ案内板 |