亘理城

亘理城わたりじょう
宮城県亘理郡亘理町旧舘
Mapion

--本丸に建つ亘理神社--
別名 臥牛城・亘理要害
交通 JR常磐線「亘理駅」から徒歩25分。
築城年代 1573〜92年(天正年間)
築城者 亘理元宗
形式 平山城
主な城主 片倉景綱・伊達成実
1573〜92年(天正年間)伊達稙宗の12男で亘理氏を継いだ亘理元宗が城主であったと考えられるが、この時の亘理城は南西、小堤城(現在大雄寺が建つ)の事ともされる。この地は伊達氏にとって対相馬氏の最前線であり、元宗は子重宗と主に相馬氏との戦で活躍した。1591年(天正19)豊臣秀吉の奥州再仕置により伊達政宗が米沢城から岩出山城へ移ると、亘理氏は百々城を経て涌谷城へ移った。
代わって亘理城には片倉景綱が入城し、1602年(慶長7)白石城へ移ると伊達成実が入城、城下町が整備され、1615年(元和1)一国一城令後も「亘理要害」と呼ばれ、明治まで亘理伊達氏居城として続いた。
本丸は亘理神社境内となり、南側に堀跡の池が残されている。東側に二の丸があったが現在スーパー敷地となっており、亘理城北側にあったという大沼や二の丸を囲んでいた外堀等、遺構は消滅している。
二の丸跡
正面が本丸
本丸を分断する道路 本丸下堀跡
亘理神社社殿 亘理神社境内に立つ本丸跡碑 馬場跡は高校敷地となる

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
                       「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年9月