白石城

白石城しろいしじょう
宮城県白石市益岡町
Mapion

--天守閣--
別名 益岡城
交通 JR東北本線「白石駅」から徒歩15分。
築城年代 1591年(天正19)
築城者 蒲生氏郷
形式 平山城
主な城主 片倉景綱
1083年〜87年、後三年の役で戦功を成した刈田左兵衛尉経元が白石の地を賜り、築城した事に始まるといわれる(後の白石城と同一地かは不明)。
その後白石氏等の支配後、この地方は伊達政宗支配下に入るが、1591年(天正19)豊臣秀吉の奥州再仕置により政宗が米沢城から岩出山城へ移ると、会津若松城主蒲生氏郷に与えられた。この時会津若松城の支城として白石城が築かれ、氏郷家臣であった郷成が城代を務める。
1598年(慶長3)蒲生氏郷の跡を継いだ秀行が宇都宮に移ると、越後から上杉景勝が代わって会津に入封した。白石城には上杉氏家臣甘糟景継が入城し、新たに整備拡張されたという。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦直前、徳川家康より背後からの上杉氏討伐を命じられた伊達政宗は旧領回復の意図も込め、白石城を包囲する。そして政宗勢の攻撃により本丸を残すのみとなった白石城は開城した。その後白石城に片倉景綱が入城すると、以後片倉氏が代々続く事となる。
1615年(元和1)一国一城令以後も仙台藩は幕府から仙台城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越三十一列藩同盟が白石城で結ばれる等、重要な役割を担った。
二の丸二の門(東口門)跡 大手石垣 天守閣・復元された井戸跡
本丸二の門 本丸二の門・天守閣 本丸
片倉小十郎景綱顕彰碑 天守 天守から見る本丸一の門・二の門
裏御門跡 神明社 Mapion
当信寺山門として移築された
大手二ノ門

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
                       「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年4月