長野県下伊那郡高森町山吹 --西(城主屋敷跡)から城址方面-- |
別名 | 山吹陣屋 |
交通 | JR飯田線「下平駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | |
築城者 | 山吹氏 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 座光寺氏 |
宮崎長康の子孫が山吹氏を称して居城し、松岡城主松岡氏に従ったとされる。 1582年(天正10)本能寺の変後、伊那谷は徳川家康が治めるようになったが、松岡氏は豊臣秀吉に心を寄せており、1585年(天正13)12月、松本城主小笠原貞慶の高遠攻めに向かった。しかし小笠原勢の形勢不利と見た松岡氏は途中で引き返すが、これを家臣座光寺次郎右衛門が伊那郡司菅沼定利に密告した為、松岡貞利は捕われの身となり、1588年(天正16)改易を命じられた。 座光寺氏はこの功により上州大竹の知行を与えられ、その後1602年(慶長7)1450石をもってこの古城を修築し、陣屋として明治維新まで代々続いた。 台地上、城址西側から入れるようだが、私有地や水田となっており確認出来なかった。 |