長野県諏訪郡下諏訪町下屋敷 --本丸東空堀-- |
別名 | |
交通 | JR中央本線「下諏訪駅」から徒歩60分。 |
築城年代 | |
築城者 | 金刺氏か |
形式 | 山城 |
主な城主 | 横田備中守 |
築城者・年代は不明だが、その位置・規模から諏訪大社下社大祝金刺氏またはその一族による築城と考えられ、金刺氏本城である桜城の支城として重要な役割を担ったと推定される。 1518年(永正15)金刺昌春が籠城する「萩倉の要害」は諏訪頼満に攻められ自落、昌春は武田信虎を頼り、甲州へ逃れるが、内乱に巻き込まれて討死し、金刺氏は没落した。この「萩倉の要害」は山吹城と考えられているが、上の城という説もある。 金刺氏滅亡後、武田氏家臣である横田備中守が在城したという伝承が残る。詳細は不明だが、戦国時代末期まで烽火台として利用されたと考えられる。 標高1063メートル、下の城から更に15分程登った奥深い場所に位置する。山頂の本丸をやや埋没している印象だが、二重の空堀が全周し、一部三重になっている。本丸から北へ約250メートルの地点に土橋があり、その先に馬場跡と伝わる平場がある。また付近に建つ石尊社境内では刀剣が出土したとされる。 |
城址東下にある毒沢観音 | 水の手 | 本丸東空堀 |
本丸 | 本丸に立つ城址碑 | 本丸西空堀 |
本丸北空堀 | 城址北土橋 | 石尊社 |