膳城

膳城ぜんじょう
群馬県前橋市粕川町膳
Mapion

--城址碑--
別名     
交通 上毛電鉄上毛線「膳駅」から徒歩10分。
築城年代 1441〜1444年(嘉吉年間)
築城者 善氏
形式 丘城
主な城主 善氏
15世紀中頃、三善康信の子孫善氏により築かれたとされ、北東約1キロにある山上城とは別城一郭の関係にあった。「吾妻鏡」には既に善氏の名がみられるが、膳城との関係は不明である。
1469〜1487年(文明年間)頃、山上・善両氏は佐野周防守により、武州五十子に追われるが、その後横瀬業繁の援助を受けて復帰し、以後太田金山城の属城となった。
1562年(永禄5)と1574年(天正2)上杉謙信に攻められ、上杉方の厩橋城主北条高広に属したが、謙信の死後、膳城は後北条氏の手に渡り、金山から河田備前守が城代に命ぜられた。
1580年(天正8)厩橋城に進出した武田勝頼は、大胡城や山上城、伊勢崎城を攻略し、東毛を巡見した。この時勝頼が膳城付近に差し掛かかると、城内は酒盛りの最中で、玉村五郎兵衛が渋川主膳正と口論となっていた。武田勢を見た城兵は攻撃を始めた為、武田勢は平服のまま攻め入り、そのまま膳城を攻略したといい、「膳城素肌攻め」として知られている。
城址の半分近くは宅地化されているが、本丸・二の丸付近は県指定史跡に登録されており、遺構が良く残されている。
西から城址遠望 城址西側を流れる兎川 袋曲輪
二の丸北空堀 西虎口 二の丸
櫓台 本丸北空堀 馬出北空堀

参考文献 「群馬の古城 あかぎ出版」
                 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
                「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年1月