兵庫県神戸市西区枝吉4丁目 --城址碑-- |
別名 | 枝吉城(しきつじょう) |
交通 | 各線「西明石駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 室町時代中頃 |
築城者 | 明石氏 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 明石則実 |
古くから赤松氏の有力被官として勢力を持っていた明石氏本城。築城年代は不明だが、東下に建つ報恩寺が1429年(永享1)に建立されたと伝えられる事からこの頃に築かれたと考えられる。 1578年(天正6)三木城主別所長治が誼を通じていた織田信長から突如毛利氏に転じて背いた際、播磨の豪族の大半が三木氏に従ったが、明石則実は従兄弟である黒田孝高と共に羽柴秀吉に従い、その後各地を転戦すると、1585年(天正13)戦功に より但馬国豊岡城へ移った。 代わって枝吉城には摂津国高槻城主高山右近重友が入城するが、翌年船下城を築いて移ると廃城になった。しかし重友が実際に枝吉城に入城したという確証は無く、船下城に直接入城したともいわれ、則実転封後、間も無く廃城になったという説もある。 神本神社・吉田郷土館背後、城山と呼ばれる台地が本丸とされるが、開発により大きく崩されており、北側にあったという二の丸も消滅している。 |
居館跡である神本神社 | 本丸 | 本丸西側 |