曳馬城

曳馬城ひくまじょう
静岡県浜松市中区元城町
Mapion

--東照宮に立つ城址碑--
別名 引馬城・引間城・匹馬城
交通 JR東海道本線「浜松駅」から徒歩25分。
築城年代 戦国時代か
築城者 巨海新左衛門尉か
形式 平山城
主な城主 飯尾連竜
築城者や築城年代については諸説あるが、吉良氏の命を受けた巨海新左衛門尉により築かれたという説が有力である。
1516年(永正13)斯波氏被官である大河内貞綱が籠もる曳馬城は遠江平定を目指す今川氏親に攻略され、以後今川氏支城として城主は飯尾賢連、次いで乗連、連竜と続いた。
1560年(永禄3)桶狭間合戦後、徳川家康は岡崎城で自立し、次第に遠江に勢力を伸ばす。1563年(永禄6)連竜は衰退する今川氏を離れ、家康に通じた為、曳馬城は今川氏真に攻められた。この時は落城しなかったが、翌年再び攻められ、支城である頭陀寺城が焼失している。この時和解が成立したが、1565年(永禄8)駿府に呼ばれた連竜は謀殺され、飯尾氏は滅亡した。曳馬城は城代江馬氏が継ぐが、1569年(永禄12)内紛により江馬氏も滅亡すると、12月家康は酒井忠次を派遣して曳馬城を接収し、支城とした。
1570年(元亀1)5月、家康は武田信玄に駿府を追われ、掛川城に籠もる氏真を降伏させると、岡崎城から遠江に本拠を移す事にした。はじめ城之崎に計画をしていたというが、地の利からこの地に移り、新たに西方の高地を中心に新城を築城、名を浜松城と改めた。その際曳馬城も浜松城の一郭に取り込まれた。
西から城址遠望 浜松城天守閣から城址遠望
中央左手

参考文献 「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 3
2006年5月
2008年9月
2014年1月