保科正直屋敷

保科正直屋敷ほしなまさなおやしき
愛知県安城市山崎町大手
Mapion

--正法寺--
別名    
交通 JR東海道本線「安祥駅」から徒歩20分。
築城年代 1584年(天正12)
築城者 保科正直
形式 屋敷
主な城主 保科正直
保科正直屋敷跡。信濃国高遠城主であった正直は武田信玄・勝頼父子に仕え、1582年(天正10)織田信長による甲州征伐の際、信濃国飯田城に籠るが、その後高遠城に退き、仁科盛信と共に奮戦した。
武田氏滅亡後、後北条氏に従い、1584年(天正12)小牧長久手合戦後、徳川家康に仕えるとこの地に領地を与えられ、屋敷を構えた。そして1590年(天正18)家康の関東移封に伴い、下総国多胡に移るまで6年間在住したとされる。
正法寺が屋敷跡とされる。遺構は特に見当たらないが、境内は微高地となっている。

参考文献 「史跡散策 愛知の城 山田征之著」
           「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年12月