布袋ヶ岡城

布袋ヶ岡城ほていがおかじょう
栃木県栃木市都賀町深沢
Mapion
登山口地図
--北東から城址遠望--
別名 要害山城
交通 東武日光線「東武金崎駅」から登山口まで徒歩60分。
地図の地点から愛宕神社まで行き、そこから南西尾根を登り
詰めると本丸です。
築城年代 938年(天慶1)頃
築城者 藤原秀郷
形式 山城
主な城主 皆川広照
938年(天慶1)頃、下野国に進出した平将門に対して藤原秀郷により築かれたと伝わる。その後廃城になっていたが、1504〜21年(永正年間)皆川城主皆川成勝が再興し、宇都宮城主宇都宮氏に対する北の守りとして柏倉兵部左衛門が城代であったという。
1588年(天正16)3月、常陸国太田城主佐竹義重の援助を受けた宇都宮国綱は1万5千の大軍を率いて西方城と磯城に布陣し、皆川広照攻めを開始した。広照は諏訪山城まで出陣して迎え撃つが、多勢に無勢で城は落城、真名子から布袋ヶ岡城へ落ち延びた。
皆川方は広照自ら指揮を執り、鉄砲数百丁を構えて籠城するが、宇都宮・佐竹連合軍は攻め上り、一斉に火矢を打ち込むと城はたちまち燃え上がって落城、広照は駒岡を固めていた日向野豊後守の陣に退いた。布袋ヶ岡城を落とし、西方城に戻った国綱であったが、壬生義雄進軍の報を受けると翌朝西方城を発ち、宇都宮城に帰城した為、広照も兵を退いた。
標高187メートル、要害山に築かれている。山頂の平地には本丸、烽火台が置かれていたといわれ、北尾根の愛宕神社や南尾根の出丸にかけて堀切や竪堀が設けられている。布袋ヶ岡城の主要部は東尾根中腹斜面に在り、「弓八間」と呼ばれる10段程の段曲輪と長大な横堀が残されている。
愛宕神社下竪堀 愛宕神社 本丸北堀切
本丸北竪堀 本丸 本丸から北側の眺め
本丸に立つ石祠 本丸南尾根堀切 南出丸
南出丸堀切 本丸東尾根段曲輪群 北竪堀
曲輪跡 土塁 北横堀

参考文献 「とちぎの古城を歩く 下野新聞社」
           「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2020年12月