福岡県福岡市中央区大名2丁目 --屋敷跡に立つ石碑-- |
別名 | |
交通 | 地下鉄空港線「赤坂駅」から徒歩3分。 |
築城年代 | 江戸時代 |
築城者 | 飯田直景 |
形式 | 屋敷 |
主な城主 | 飯田氏 |
加藤清正重臣で、一番備えの侍大将として加藤家三傑と称された飯田覚兵衛直景を祖とする飯田氏屋敷跡。 1583年(天正11)直景は賤ヶ岳合戦で先鋒として活躍し、1592年(文禄1)朝鮮の役における晋州城攻撃戦では亀甲車を造って戦功を挙げた。1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、清正が宇土城主小西行長旧領である肥後南半国を合わせて54万石を領し、熊本城を築いた時、普請奉行を務め、飯田丸は直景の名に由来する。 1611年(慶長16)清正が亡くなるとその子忠広に仕え、1632年(寛永9)加藤家改易後、福岡藩主黒田家に客分として召抱えられるが、間も無く死去した。 中央区役所向かいが屋敷跡とされ、直景が清正を偲び、熊本城から苗木を移植したという大銀杏が残されている。 |