伊佐城

伊佐城いさじょう
茨城県筑西市中舘
Mapion

--観音寺に立つ城址碑--
別名     
交通 真岡鐵道真岡線「折本駅」から徒歩20分。
築城年代 平安時代
築城者 伊佐実宗
形式 平城
主な城主 伊佐氏・伊達行朝
940年(天慶3)藤原秀郷が平貞盛と呼応し、平将門討伐の為に築いた上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館城)の一つに始まるとされる。
1111年(天永2)藤原魚名の子孫である藤原実宗は常陸介に任ぜられ、伊佐荘中村に居住し、伊佐城を築いたとされる。1189年(文治5)5代目朝宗は源頼朝に従い、奥州征伐の戦功により奥羽伊達郡を与えられると、次男宗村と共に伊達郡に移り、伊達氏を称して伊達家の祖となった。また長男為宗と三男資綱は伊佐に留まり、代々伊佐氏を称したとされるが、伊佐氏の系譜は諸説あり、不明な点も多い。
1338年(暦応1)11月、北畠親房が東国の南朝勢力拡大を図り、小田城に入城すると、当時の城主伊佐太郎は伊達氏7代行朝(行宗)と共に伊佐城に拠り、関城大宝城等と呼応して北朝方高師冬と争うが、1343年(康永2)11月、関・大宝両城が落城すると伊佐城も落城した。行朝は城を逃れ、伊佐氏も没落した。
東下を五行川が流れる崖上、南北に長い観音寺境内が城址とされ、本堂付近に土塁が残されている。また境内には伊達行朝供養塔や下館藩主石川総管墓所がある。
観音堂南を通る道は堀切跡か 観音堂 東側を流れる五行川
観音寺山門 石川総管墓所 観音寺参道

参考文献  「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年5月