下館城

下館城しもだてじょう
茨城県筑西市甲
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--八幡神社に立つ城址碑--
別名     
交通 真岡鐵道真岡線「下館二高前駅」から徒歩10分。
築城年代 940年(天慶3)
築城者 藤原秀郷
形式 平城
主な城主 水谷正村(蟠龍斎)
940年(天慶3)藤原秀郷が平貞盛と呼応し、平将門討伐の為に築いた上館(久下田城)・中館(伊佐城)・下館(下館城)の一つに始まるとされる。
その後大掾氏一族である伊佐為宗が領有していたといわれる。
1478年(文明10)結城城主結城氏に仕える水谷勝氏がこの地に城を築くと代々水谷氏居城として続いた。
1590年(天正18)小田原合戦後、6代水谷正村(蟠龍斎)は豊臣秀吉より所領を安堵されると、下館城を弟勝俊に譲り、自身は隠居して久下田城に移った。
1639年(寛永16)勝俊の子勝隆の時、備中国成羽へ移り、代わって松平頼重が入部するが、1642年(寛永19)讃岐国高松城に移ると、一時天領となる。
その後増山氏・井上氏・黒田氏と続き、1732年(享保17)伊勢国神戸城から石川総茂が入城すると、明治に至るまで9代137年間石川氏が続いた。
東下を五行川が流れる台地上、現在の下館小学校一帯が城址とされ、北側八幡神社境内に碑が立つが、宅地化により僅かに堀跡が残るのみとなる。また西の下館公園は出丸(西城)跡とされ、藩政期には女官の殿舎が置かれていた事から局出丸ともいわれる。
下館小学校 下館小・八幡神社間道路は堀跡か 八幡神社
出丸跡である下館公園 Mapion
定林寺
水谷家歴代墓所

参考文献 「現地案内板」
                        「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年5月