埼玉県北本市石戸宿6丁目 --一夜堤-- |
別名 | 天神山城 |
交通 | JR高崎線「北本駅」からバス「自然観察公園前」下車。 バス停から徒歩20分。 |
築城年代 | 室町時代 |
築城者 | 藤田八右衛門 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 太田資頼 |
1457〜60年(長禄年間)太田道灌により築かれたとも、扇谷上杉氏家臣であった藤田八右衛門の居城として築かれたともいわれ、後北条氏の北武蔵進出以前は上杉方川越城の支城として、古河公方に対峙する役割を担っていたと考えられる。 その後岩槻城主太田氏の支城となり、1525年(大永5)北条氏綱が岩槻城を攻めた時、太田資頼はこの石戸城に逃れている。また1562年(永禄5)12月、北条氏邦は石戸城を攻めたが、城主毛利丹後守は良く守り、容易に落とせなかった。この時上杉謙信の援軍が来ると聞いた氏邦は一刻も早く落とそうと考え、暗夜に乗じて東台地と城との間の沼地に一夜で堤を築くと、一挙に攻め入り落城させたという。また翌年には1563年(永禄6)には謙信が「石戸の渡し」に進出した等、松山城を巡り、上杉・太田氏と後北条氏との間で争奪が繰り返される中、石戸城は太田氏の重要な向城であった。 1590年(天正18)後北条氏が滅亡すると、石戸城も廃城となった。そして徳川家康が関東に入国すると、石戸領5千石は牧野康成に与えられたが、牧野氏の陣屋は石戸ではなく川田谷に置かれた。 城址一帯は宅地や畑となるが、僅かに堀跡とされる窪地が確認出来る。また東下には「一夜堤」が残されている。 |
南側に建つ天神社 | 本丸付近 | 堀跡 |