東京都調布市深大寺元町2丁目 --本丸北空堀-- |
別名 | |
交通 | 京王線「布田駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 1537年(天文6)(再興) |
築城者 | 扇谷上杉朝定(再興) |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 難波田弾正広宗 |
1524年(大永4)1月、江戸城を北条氏綱に奪われた川越城主扇谷上杉朝興はその奪回を図り、度々南武蔵に攻め込み、1530年(享禄3)には小沢原で北条氏康と争ったが、いずれも敗退した。 1537年(天文6)4月、父朝興の跡を継いだ朝定は退勢挽回の為、この深大寺城を再興し、難波田弾正広宗に守らせた。南方からの後北条氏侵攻を押さえ、江戸城奪還の拠点として深大寺城が選ばれたものと考えられる。これに対し後北条氏は烏山・牟礼に砦を築き、深大寺城の封鎖を図った。 同年7月、氏綱は北上を開始し、深大寺城もこれに備えていたが、後北条勢は直接川越城に向った為、広宗は川越城を出陣した朝定と合流し、三ツ木原で争うが敗れた。 その後深大寺城は戦略的価値を失い、廃城になったものと考えられる。 現在は水生植物園敷地になっているが、土塁や空堀が良く残されている。 |
二の丸北空堀 | 二の丸 正面が本丸 |
二の丸空堀(二重土塁) 左が三の丸(現テニスコート敷地) |
二の丸南空堀 | 二の丸南虎口 | 二の丸南土塁 |
二の丸建物跡 | 本丸北虎口・土橋 | 本丸に立つ城址碑 |
本丸 | 本丸南空堀 | 東下から城址遠望 |