大阪府貝塚市中 --貝塚寺内町碑-- |
別名 | 貝塚御坊・貝塚城・願泉寺 |
交通 | 各線「貝塚駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 1555年(天文24) |
築城者 | 卜半斎了珍 |
形式 | 寺内町 |
主な城主 | 卜半斎了珍 |
貝塚寺内の創建について詳細は不明だが、古くはこの地に草庵があり、1467〜69年(応仁年間)蓮如上人が逗留した事もあったといわれるが、無住であった為、1545年(天文14)根来寺から卜半斎了珍(右京坊)を招いた事に始まるとされる。そして1555年(天文24)石山本願寺から寺内町に取り立てられると、根来寺と石山本願寺を結ぶ拠点として環濠城塞都市に発展するようになる。 1577年(天正5)織田信長が石山本願寺攻めを開始すると、貝塚寺内も攻められ、焦土と化したとされる。 1580年(天正8)石山本願寺は信長との10年余りに及ぶ石山合戦の末、天皇の仲介もあり、鷺森へ移る。この間焦土と化した貝塚寺内は再建され、1583年(天正11)鷺森から顕如上人を迎えると、1585年(天正13)天満に移るまで本願寺の拠点となった。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、貝塚寺内町は卜半家の私領となり、徳川家康から諸役免除の直書を与えられている。また大坂の陣を前に、この地を重視した家康から資金を受け、土居が築かれたとされる。 その後も幕末まで卜半家の支配が続いた。 宅地化により明確な遺構は見当たらないが、内郭とみられる願泉寺南、感田神社境内に環濠が僅かに残されている。 |
願泉寺 | 感田神社境内に残る環濠跡 |