金山城

金山城かねやまじょう
岐阜県可児市兼山
Mapion

--本丸石垣--
別名 烏峰城・兼山城
交通 名鉄広見線「明智駅」からバス「城戸坂」下車。
バス停から登山口まで徒歩10分。
築城年代 1537年(天文6)
築城者 斎藤正義
形式 山城
主な城主 森長可
1537年(天文6)稲葉山城主斎藤道三の命を受けた猶子斎藤正義により築かれた。正義は東美濃において勢力を伸ばし、苗木城主遠山友政や堂洞城主岸信周、加治田城主佐藤紀伊守らを配下にするが、1548年(天文17)2月、久々利城主土岐三河守悪五郎に討たれた。正義の死は道三の計略ともいわれる。
金山城はしばらく城主不在であったというが、1565年(永禄8)森三左衛門可成が城主となり、宇佐山合戦で討死するまで織田信長に従い、各地を転戦した。
1582年(天正10)信長による甲州征伐の際、森2代長可は織田信忠に従い、信濃国・上野国を転戦し、信濃4郡を加増されると、同年4月、信濃国海津城主となる。しかし6月、本能寺の変が起こると、金山城に帰城し、東美濃を制圧した。その後豊臣秀吉に従い、1584年(天正12)長久手合戦で討死した。
その後森3代忠政が跡を継ぎ、1600年(慶長5)2月、13万7500石で信濃国海津城に移封となり、金山城は廃城となった。
現存する遺構は安土城の築城とほぼ同時期に増改築されたものと考えられている。
伝森蘭丸(成利)産湯井戸
1565年(永禄8)秋、金山城で生まれた
出丸石垣 出丸
二の丸 大手下枡形虎口
ここにあった大手門は
犬山市瑞泉寺に移築されている
本丸石垣
本丸北西下石垣 本丸・天守台 本丸枡形虎口
本丸石垣 搦手・大堀切 城址からの眺め

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年4月