兵庫県加古川市東神吉町神吉 --常楽寺・神吉頼定廟所-- |
別名 | 真名井城・奈幸子城 |
交通 | JR山陽本線「宝殿駅」からバス「神吉」下車。 |
築城年代 | 南北朝時代か |
築城者 | 神吉氏 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 神吉頼定 |
神吉氏代々の居城。神吉氏は赤松則村(円心)の孫である光範の子範次から出たとされる。範次は1352〜55年(文和年間)功績により神出城主となり、神出氏を称していたが、後にこの神吉城を築くと神吉氏を名乗ったという(その子元頼の頃とも)。 1578年(天正6)三木城合戦の際、城主頼定は別所長治に呼応し、周辺の志方城・高砂城・野口城等と共に守りを固めた。しかし野口城が落城すると、6月27日から神吉城も羽柴秀吉自ら率いる大軍に連日攻められた。その後西の丸を守る頼定の叔父神吉藤太夫は秀吉方に降ると、腹心である佐野伝右衛門に命じて頼定を暗殺した。そして城主不在となった神吉城は落城したとされる。 常楽寺境内が中の丸(本丸)、その北に二の丸、南から東に東の丸、西に建つ真宗寺境内が西の丸とされる。明確な遺構は見当たらないが、常楽寺境内に最後の城主神吉頼定廟所がある。 |
真宗寺 | 常楽寺に隣接する神吉神社 | 常楽寺南側 |