兵庫県高砂市高砂町東宮町 --高砂神社-- |
別名 | 高砂浦城・高砂構 |
交通 | 山陽電鉄本線「高砂駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1441〜43年(嘉吉年間) |
築城者 | 杉岡蔵人 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 梶原景行(景秀) |
正確な築城年代は不明だが、1441〜43年(嘉吉年間)北方約2キロに位置する小松原城の支城の一つとしてこの地に築かれていたものと思われる高砂構に始まると考えられる。そして城主と伝わる杉岡蔵人は小松原城主小松原永春らと共に赤松満祐に従ったとされる。 1578年(天正6)三木城合戦の際、城主梶原景行(景秀)は毛利氏の援助を受けて、三木城主別所氏を支援し、高砂城は兵糧供給の拠点となるが、1580年(天正8)三木城落城に伴い、高砂城も運命を共にする。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、池田輝政が播磨52万石を与えられ、姫路城に入城すると、1605年(慶長10)海の守りを固める為、この地に新たに高砂城の築城が開始され、中村正勝が普請に当たった。そして1615年(元和1)城主本多忠政の時、一国一城令により廃城となった。 中世の高砂城についての記録は断片的で不明な点が多く、位置については近世高砂城と同一地、あるいは小松原城付近ともいわれる。現在高砂神社が建つ地は近世高砂城の本丸跡とされ、築城の際、北西に移されていた高砂神社が1626年(寛永3)再びこの地に戻されたものとされる。 |