北ノ庄城

北ノ庄城きたのしょうじょう
福井県福井市中央1丁目
Mapion

--柴田勝家像--
別名 北庄城
交通 JR北陸本線「福井駅」から徒歩10分。
築城年代 1575年(天正3)
築城者 柴田勝家
形式 平城
主な城主 柴田勝家
1573年(天正1)一乗谷に朝倉氏を滅ぼした織田信長は、1575年(天正3)一向一揆を平定した後、柴田勝家に越前49万石を与えた。勝家は北陸支配の拠点としてこの地を選び、北ノ庄城が築城された。元々この地には朝倉氏一族の館があったとされるが、その位置については明らかではない。しかしほぼ同一、もしくはそれ程離れていなかったものと考えられている。
1583年(天正11)賤ヶ岳合戦に敗れた勝家は、北ノ庄城に籠もり抵抗を続けたが、妻お市と共に自害した。
柴田氏滅亡後、丹羽・堀・青木氏が続いて短期間在城した。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、徳川家康の2男結城秀康が68万石でこの地に入部すると、北方に福井城の築城を開始し、柴田氏の北ノ庄城は消滅した。
現在城址は市街地に埋もれているが、一画が城址公園として整備されており、僅かに残る堀跡や石垣が展示されている。
城址碑 お市の方・戦没者慰霊碑 日向門跡礎石(福井城遺構)
城址公園全景 石垣の根石 石垣

参考文献 「現地案内板」
           「日本の城 小学館」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年11月
2011年4月