コシャマインの乱

コシャマインの乱
北海道函館市志海苔町他

1457年(長禄1)
武田信広×コシャマイン
Mapion

-志苔館に立つアイヌ・和人慰霊碑-
交通 JR函館本線「函館駅」下車。
「松風町」バス停からバス「志海苔」下車。
1429〜41年(永享年間)南部氏との戦いに敗れた安東氏は蝦夷地へ逃れ、その後出羽へ復帰するが、一族はそのまま残り、道南12館といわれる館を構えていた。
1456年(康正2)志苔館付近の鍛冶屋が、注文主のアイヌの青年と製品の事で口論となり刺殺すると、翌年東部の酋長コシャマインを盟主と仰ぐアイヌは一斉に蜂起し、道南12館の攻撃を開始して和人の蝦夷地からの放逐を図った。
この乱で12館の内、10館が陥落し、残るは茂別館花沢館のみとなったが、蠣崎氏の下に寄寓していた武田信広は総大将として出陣、コシャマイン父子を弓で討ち、乱を終結させた。
乱後信広は蠣崎氏を名乗り、勢力を伸ばすと、蝦夷における安東氏の勢力は後退する事となる。そして信広の子光広は松前へ移り、後の松前藩の基盤を築いた。

参考文献 「現地案内板」
                     「北海道・沖縄の城郭 新人物往来社」
2012年8月