花沢館

花沢館はなざわだて
北海道檜山郡上ノ国町勝山
Mapion
館址碑・入口地図

--主郭から北東の眺め--
別名 花見岱館
交通 JR江差線「上ノ国駅」から登山口まで徒歩25分。
築城年代 15世紀頃か
築城者        
形式 山城
主な城主 蠣崎季繁
15世紀頃、和人・渡党と称される本州系の人々が、北海道南部への進出の拠点として築いた道南12館の一つ。この頃の渡島半島は津軽十三湊を拠点とする安東氏が「下之国」(上磯町〜函館市付近)の茂別館、「松前」(松前町を中心とした地域)の大館、「上之国」(上之国町を中心とした地域)の花沢館にそれぞれ守護を置いて支配していたといわれる。
1457年(長禄1)コシャマインの乱の際、道南12館の内10館が陥落し、残るは茂別館とこの花沢館のみとなった。この時花沢館主蠣崎季繁の客将であった武田信広は総大将として活躍し、戦後季繁の養女で、安東政季の娘を娶ると、同年洲崎館を築いて蠣崎氏を称し、独立した。
1512年(永正9)蠣崎氏2代光広は、安東氏の蝦夷地代官である松前大館の館主になる事を望み、1513年(永正10)蝦夷に松前大館を攻略させると、翌年勝山館を一族に任せ、長子良広と松前大館へ移った。花沢館はこの頃に廃されたと思われる。
北麓228号線沿いに立つ館址碑から登山道があり、少し登ると案内板が立つ曲輪跡に着く。ここから更に登ると本丸で、南側には土塁と堀切が確認出来る。小規模だが城の形状は比較的良く残されている。
麓を流れる天ノ川 北麓228号線沿いに立つ館址碑 案内板が立つ北側下曲輪
本丸下腰曲輪 本丸 本丸背後堀切

参考文献 「現地案内板」
                     「北海道・沖縄の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年4月