北海道北斗市矢不来 --館址碑-- |
別名 | 茂辺地館・下国館 |
交通 | JR江差線「茂辺地駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1443年(嘉吉3)か |
築城者 | 安東盛季か |
形式 | 山城 |
主な城主 | 安東家政 |
築城者・年代は諸説あり、定かではないが、1443年(嘉吉3)津軽十三湊を拠点とする安東盛季が南部氏との戦いに敗れて蝦夷地へ逃れた際、築かれたといわれ、また一説に1454年(享徳3)盛季の弟道貞の孫で、下北郡田名部を領し、実質的な南部氏の傀儡であった政季により築かれたともいわれる。安東家再興を願う政季は、家臣武田信広・河野政通・相原政胤らを引き連れて蝦夷へ渡ると、茂別館に入り、道南12館を中軸として、茂別館を中心とする「下之国」・大館を中心とする「松前」・花沢館を中心とする「上之国」にそれぞれ守護を置いて支配していたといわれる。 1457年(長禄1)コシャマインの乱の際、道南12館の内10館が陥落し、残るはこの茂別館と花沢館のみとなったが、武田信広の活躍によって勝利し、信広が蠣崎氏を継承すると、次第に蝦夷における安東氏の勢力は後退していく事となった。 茂別館は現在矢不来天満宮境内となる大館と沢を挟んで北西の小館から成る。大館は社殿裏に土塁や空堀が残り、石碑や案内板が立てられている。小館にも遺構が残るようだが、こちらは藪山で全く整備されておらず、確認出来ない。 |
西下、茂辺地川に架かる橋から遠望 右が大館、左が小館 |
西下を流れる茂辺地川 | 大館側から小館遠望 |
大館から西側の眺め | 矢不来天満宮 | 矢不来天満宮社殿 |
土塁 | 空堀 | 矢不来天満宮裏参道 |