神指城

神指城こうざしじょう
福島県会津若松市神指町本丸
Mapion

--北東(高瀬の大木)から本丸遠望--
別名     
交通 各線「会津若松駅」下車。
バスターミナルからバス「黒川」下車。
築城年代 1600年(慶長5)
築城者 上杉景勝
形式 平城
主な城主 上杉景勝
1598年(慶長3)蒲生氏郷の跡を継いだ秀行が宇都宮に移ると、越後国から上杉景勝が代わって会津に入封した。景勝は鶴ヶ城小田山から近く、守るに適さないと考え、1600年(慶長5)3月18日、家老直江兼続に命じ、神指城の築城を開始した。この築城に際し、北東の鬼門にあたる高瀬の大木と北極星を基点に縄張りが行われ、8万人とも12万人ともいわれる人夫が集められ、昼夜問わず工事が行われたという。
しかし6月10日、徳川家康による会津征伐の報を受け、白河口等の国境防備の必要から工事は中断される。そして関ヶ原合戦後、景勝は米沢へ移封となり、神指城は未完成のまま破城となった。更に1639年(寛永16)領主加藤明成は石垣をすべて鶴ヶ城へ運び去り、神指城は廃城となった。
本丸は私有地となり立ち入りは出来ないが、南側の一部は公開され、その他も周囲の農道から観察出来る。また二の丸北東・北西・南東隅の土塁も残存している。南西に一部残る土塁には如来堂が建ち、ここは幕末新撰組殉難の地でもある。
二の丸南東隅土塁 本丸 石垣に使われた慶山石
本丸内堀 本丸西御門跡・堀 本丸西に置かれている石垣の残石
本丸天守閣建設予定地 二の丸北東隅土塁(高瀬の大木) 高瀬の大木

参考文献 「現地案内板」
                        「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年5月