小田山城

小田山城おだやまじょう
福島県会津若松市門田町大字黒岩
Mapion

--復元された冠木門--
別名     
交通 JR只見線「西若松駅」から登山口まで徒歩40分。
北側麓又は恵倫寺裏手墓地から登山道があります。
築城年代 1222年(承久4)
築城者 蘆名光盛
形式 山城
主な城主 蘆名氏
相模国三浦半島の衣笠城を本拠とする三浦大介義明の子で、佐原城主の佐原十郎義連は、1189年(文治5)源頼朝による奥州征伐に従軍し、その軍功により会津の地頭職となる。そして2年後の1191年(建久2)飯寺館を築いたとされる。
そして義連の孫で、会津蘆名氏を称した光盛は、1222年(承久4)この小田山城を築き移った。以後1568年(永禄11)蘆名盛氏が向羽黒山城を築くまで、黒川城を居城とする蘆名氏の詰城の役割を持っていたと考えられる。
1598年(慶長3)会津に入封した上杉景勝は、鶴ヶ城に入城した際、この小田山から大砲を撃たれる恐れから神指城の築城を開始したが、時代は下り1868年(慶応4)新政府軍はここから会津藩兵が籠もる鶴ヶ城へ砲撃を行っている。
道路建設や墓地造成の為に改変されている箇所も多い印象だが、山頂の田中玄宰墓所を中心に曲輪や堀切が確認出来る。また登山道途中には冠木門や柵が復元されている。
新政府軍砲陣跡 砲陣跡から若松城方面 丹羽能教墓所
小田山山頂に立つ標柱 物見櫓跡からの眺め 物見櫓跡東堀切

参考文献 「現地案内板」
                          「歴春ブックレット20 会津の城 歴史春秋社」
訪城回数 1
2011年5月