栃木県大田原市前田 --本丸東空堀-- |
別名 | |
交通 | JR宇都宮線「那須塩原駅」からバス「大雄寺入口」下車。 |
築城年代 | 1576年(天正4) |
築城者 | 大関高増 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 大関氏 |
1576年(天正4)白旗城主大関高増により新たな拠点として築かれた。 1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、那須衆宗家である烏山城主那須資晴は参陣を拒否した為、一時没落するが、高増は那須七騎の先頭に立って小田原に赴き、所領を安堵された。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦の年、大関資増は下野国小山にて徳川家康に謁見、家康は上杉景勝に備える為、家臣を遣わし、資増に命じて黒羽城の大改修を行った。戦後、この功により加増され、2万石の領地となる。 1646年(正保3)家督を継いだ増親は弟である増栄・増公にそれぞれ1千石を分知し、以後大関氏は1万8千石の大名として明治に至るまで続いた。 那珂川とその支流松葉川が東西を流れる丘陵先端部に位置する。黒羽城は本丸とその北側の二の丸(北の丸・北城)を中心とする内城と東・南側の帯曲輪・三の丸がこれを取り巻く外城に分かれる。内城の北側には石上台(上城)・八幡館が在り、菩提寺の大雄寺南方の大宿・風呂口曲輪が外郭を成している。中心部は黒羽城址公園として整備され、黒羽体育館や芭蕉の館建設により一部改変されているが、土塁や空堀が良好に残されている。 |
黒門跡 | 二重土塁 | 水堀 |
芭蕉の館が建つ三の丸 | 三の丸北虎口 | 三の丸・馬出間空堀 |
馬出 | 本丸・馬出間空堀 | 本丸東空堀 |
本丸 | 本丸西土塁 | 本丸から西側の眺め |
本丸東桝形虎口 | 中の丸 | 二の丸(北の丸・北城) |
石上台(上城) | 石上台(上城)空堀 | 大雄寺 |
大雄寺・大関氏墓所 | 大関氏重臣大沼家侍門 |
南西から城址遠望 |