福岡県北九州市八幡西区屋敷 --石垣-- |
別名 | |
交通 | 各線「黒崎駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1600年(慶長5)以降 |
築城者 | 黒田長政 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 井上之房 |
939年(天慶2)藤原純友が砦を構えたという伝承が残されている。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦で東軍に属した豊前中津城主黒田長政は、筑前52万石を与えられ、名島城に入城した。しかし城下町が狭い事から父如水と話し合い、翌6年から7年の歳月をかけて福岡城を築いた。同時に国境防備の為、この黒崎城をはじめとする筑前六端城(若松城・黒崎城・鷹取山城・益富城・松尾城・麻底良城)が築かれた。黒崎城には黒田24騎の一人、井上之房が2万石で城代として任ぜられ、黒崎城が築かれた「道伯山」の名は之房の号道伯に由来する。 1615年(元和1)一国一城令により僅か10数年で廃城となった。廃城後、南麓にあった堀は埋められ、城下町は筑前国と大坂を結ぶ貨客船が発着した黒崎湊を持つ宿場町へと再整備され、御茶屋や番所、問屋場が設けられた。 現在城山公園として整備されている。大きく三段の平坦地から成り、本丸周囲に土塁らしきものも確認出来るが、僅かに石垣が残るのみとなっている。 |
石垣 | 二の丸 | 本丸に立つ城址碑 |
本丸から西側の眺め | 黒崎宿東構口跡 | 南西から城址遠望 |