鷹取山城

鷹取山城たかとりやまじょう
福岡県直方市永満寺
Mapion
上野峡登山口地図

--福智山から城址遠望--
別名 鷹取城
交通 平成筑豊鉄道伊田線「赤池駅」下車。
赤池駅前から福祉バス「上野峡入口」下車。地図の地点から登
山道があります。他にも複数交通アクセス、登山ルートがあるよ
うです。
築城年代 1046年(永承1)
築城者 永井因幡守宗久
形式 山城
主な城主 母里太兵衛友信
福智山山系中腹にある標高631メートルの鷹取山山頂に位置し、近世の城郭としては最も高所に築かれた城と思われる。
1046年(永承1)長谷川兵部吉武の宿老永井因幡守宗久により築かれ、1333年(正慶2)に少弐頼尚の末子頼直が居城したが、1345年(貞和1)筑紫上総介白心入道統種が入城すると、以後代々筑紫氏の居城となる。
一時筑紫氏は城を追われたようだが、その後再び筑紫氏が復帰し、1586年(天正14)筑紫広門の時、島津氏に攻められ、広門は勝尾城へ逃れた。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦後豊前中津城主黒田長政が筑前52万石を与えられて入部すると、筑前六端城(若松城黒崎城・鷹取山城・益富城・松尾城・麻底良城)の一つとして母里太兵衛友信が1万4千石で配され、重要視された。
1606年(慶長11)益富城主後藤又兵衛基次が逐電した為、友信は後任として益富城へ移り、鷹取山城には手塚大夫光重が入城するが、1615年(元和1)一国一城令により廃城となった。
規模はそれ程大きくはないが、本丸からの眺望、4箇所の枡形虎口や東斜面に設けられた竪堀群等、見所は多い。
堀切 本丸北下帯曲輪 永満寺口虎口
外側から見る永満寺口虎口 本丸東虎口 本丸
本丸南西隅櫓礎石 本丸西虎口 本丸南下帯曲輪・福智山遠望
南虎口 福智山山頂 福智山から城址を見下ろす

参考文献 「戦国の堅城 学研」
                      「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年1月