丸亀城

丸亀城まるがめじょう
香川県丸亀市一番丁
Mapion

--天守閣--
別名 亀山城・蓬莱城
交通 JR予讃線「丸亀駅」から徒歩15分。
築城年代 1597年(慶長2)
築城者 生駒親正
形式 平山城
主な城主 山崎家治
1587年(天正15)豊臣秀吉の四国征伐後、讃岐国17万6千石を与えられた生駒親正は引田城に入城するが、翌年高松城を築いて居城とした。そして1597年(慶長2)西讃を押さえる要害の必要からこの丸亀城を築き、高松城には親正、丸亀城には子一正が居城し、西讃の統治にあたった。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、親正は西軍に従うが、一正は東軍に付いた為、戦後領地を失う事も無く、徳川家康から改めて讃岐17万1千8百余石の領主に封ぜられた。この時一正は本城である高松城へ移り、丸亀城には城代が置かれた。しかし1615年(元和1)一国一城令により丸亀城は一時廃城となった。
1640年(寛永17)生駒氏4代高俊の時、御家騒動により領地召し上げとなり、翌年肥後国富岡城から山崎家治が西讃5万3千石で入封すると、廃城になっていた丸亀城を再興して居城とした。丸亀城の現在の石垣のほとんどは山崎氏によって築かれたと考えられている。
1657年(明暦3)山崎氏が断絶すると、代わって京極高和が入城し、明治まで京極氏が続いた。
東水堀 搦手門跡 野面積み石垣
南石垣 三の丸南虎口 二の丸南櫓台石垣
二の丸東櫓台石垣 三の丸東櫓台 二の丸虎口
二の丸 本丸虎口 本丸
天守閣 本丸から見る二の丸北虎口 二の丸北から見上げる天守閣

参考文献 「現地案内板」
                        「香川・徳島・高知の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2012年10月