宮崎県延岡市松山町 --堀切-- |
別名 | 縣城 |
交通 | JR日豊本線「延岡駅」から徒歩45分。 |
築城年代 | 1446年(文安3) |
築城者 | 土持宣綱 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 土持親成・高橋元種 |
県(延岡)一帯に勢力を持っていた豪族土持氏居城。 土持氏は宣綱の頃、都於郡城主伊東氏伊東氏と不和になり、これに備える為、1443年(文安1)から3年をかけてこの松尾城を築き、西階城から移った。 1456年(康正2)宣綱は親戚である財部(高鍋)の土持景綱と共に伊東祐堯と争い、一度は和議が成立するが、1457年(長禄1)再び争い敗れ、財部土持氏は滅亡した。 この後松尾城には全繁・常綱・親栄・親佐・親成5代が居城し、その間伊東氏は薩摩・大隈を平定した島津氏に追われ、大友宗麟を頼った。伊東氏が没落すると土持氏は島津氏に与した。これに宗麟は1578年(天正6)1月、義統率いる3万の大軍をこの松尾城に送り、親成は自刃した。しかし同年11月、高城川合戦で宗麟が島津氏に敗れると、松尾城には親成の子親信が入城し、県を治めた。 1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、豊前国小倉城から5万3千石で高橋元種が入城するが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦に参戦した後、近代的城郭の必要性を感じた元種は延岡城の築城を始め、1603年(慶長8)に完成するまで松尾城に在城した。 |
堀切 | 本丸 | 南東から城址遠望 |