広島県三原市館町1丁目 --天守台石垣-- |
別名 | 浮城 |
交通 | 各線「三原駅」から徒歩1分。 |
築城年代 | 1567年(永禄10) |
築城者 | 小早川隆景 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 小早川隆景 |
1552年(天文21)沼田小早川家を継いだ小早川隆景は、沼田川左岸に位置する沼田小早川氏歴代の居城であった高山城を引き払い、対岸に新高山城を築いて本拠地とした。 その後毛利氏の中国制覇が進むと、瀬戸内水軍の指揮や情報収集の必要からこの地に「要害」が設けられ、徐々に三原城として発展・整備されていく事となる。 1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、筑前国を任された隆景は名島城へ移り、三原城は重臣が預かるが、隆景は九州在勤中も度々三原に立ち寄っている。1595年(文禄4)隆景は名島城を養子である秀秋に譲ると、三原に引き揚げ隠居し、間も無く亡くなった。隆景没後、三原城は毛利氏直轄地として広島城の支城となる。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、福島氏が入城し、1619年(元和5)福島正則改易後、紀伊和歌山城主浅野長晟が広島城に入城すると、浅野家筆頭家老である浅野忠吉が三原城主となり、明治を迎えるまでその子孫が代々続いた。 鉄道建設により城址は分断され、特に三原駅によって多くの遺構が消滅しているが、ホーム真横に天守台や堀が残されており、また船入跡や船入櫓跡、本丸中門跡が点在する。 |
石垣 | 鍛冶曲輪跡 | 石垣 |