和歌山県和歌山市秋葉町 --弥勒寺山碑-- |
別名 | |
交通 | JR紀勢本線「紀三井寺駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 1577年(天正5) |
築城者 | 雑賀孫市 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 雑賀孫市 |
現在の秋葉山公園が城址。 かつてこの地には弥勒寺という寺院があった為、弥勒寺山と呼ばれる。また1550年(天文19)黒江御坊(海南市黒江)が、1563年(永禄6)鷺森に移るまで、この地に在った為、御坊山とも呼ばれる。 1570年(元亀1)織田信長と石山本願寺との間で10年に及ぶ石山合戦が始まると、雑賀衆は本願寺11代顕如に味方した。顕如が鷺森に来て雑賀衆に加勢を申し入れた事を知った信長は大軍を雑賀に送る。 1577年(天正5)2月、中野城を攻略し、本陣とする信長勢に対し、この時の中心人物であった鈴木佐太夫の子、雑賀孫市は顕如をこの弥勒寺山に隠して本陣とすると、父鈴木佐太夫の雑賀城と共に付近に城砦を築いた。更に雑賀川の川底におけつぼを沈め、川原には柵や逆茂木を並べて合戦に備えた。この時弥勒寺山に籠もった雑賀衆兵力は3千であったという。 同年3月3日、信長勢は紀三井寺門前から一斉に川を渡るが、川底に足を取られ、雑賀衆はそこへ一斉に鉄砲を撃ち掛け、信長勢を撃退する。しかしその後再び総攻撃を受け、雑賀城は落城、弥勒寺山も降伏した。鈴木佐太夫は切腹させられたが、孫市は秀長に仕え、その後石田三成に仕えたという。 |
顕如上人碑 | 秋葉山公園 |