雑賀城

雑賀城さいかじょう
和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目
Mapion
登山口地図

--南東、津屋公園から城址遠望--
別名       
交通 JR紀勢本線「紀三井寺駅」から徒歩20分。
地図の地点、津屋公園から登山口があります。
築城年代 戦国時代
築城者 鈴木佐太夫
形式 丘城
主な城主 鈴木佐太夫
雑賀荘では鈴木・土橋・島村・粟村・松江・宮本氏らが族党を作り、団結していた。この雑賀衆本拠地が雑賀城で、鈴木佐太夫により築かれたとされる。
1570年(元亀1)織田信長と石山本願寺との間で10年に及ぶ石山合戦が始まると、雑賀衆は本願寺11代顕如に味方した。顕如が鷺森に来て雑賀衆に加勢を申し入れた事を知った信長は大軍を雑賀に送る。
1577年(天正5)2月、中野城を攻略し、本陣とする信長勢に対し、この時の中心人物であった鈴木佐太夫の子、雑賀孫市は顕如を弥勒寺山に隠して本陣とすると、父鈴木佐太夫の雑賀城と共に付近に城砦を築き、合戦に備える。雑賀衆は一度は信長勢を破るが、その後再び総攻撃を受け雑賀城は落城、弥勒寺山も降伏した。鈴木佐太夫は切腹、孫市は羽柴秀長に仕え、その後石田三成に仕えたという。
妙見堂から北へ続く山の北端、千畳敷と呼ばれる地が城址だが、戦時中のものと思われる施設やベンチがあるのみで明確な遺構は見当たらない。
妙見堂 妙見堂北側 東麓に建つ養珠寺

参考文献 「現地案内板」
                          「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2009年3月