鎮海山城

鎮海山城ちんかいさんじょう
広島県竹原市竹原町
Mapion
城址登山口地図

--村上元吉墓所--
別名 竹原城
交通 JR呉線「竹原駅」から登山口まで徒歩15分。
築城年代 1585年(天正13)頃
築城者 村上武吉
形式 山城
主な城主 村上武吉・元吉
1585年(天正13)豊臣秀吉による四国征伐後、能島城主村上武吉・元吉父子は能島を退去させられると、小早川隆景領のこの地へ移り、鎮海山城を築いて拠点とした。
1588年(天正16)秀吉による海賊停止令が出されると筑前国へ転封となった隆景に従い、筑前加布里・豊前蓑島・長門大津等を点々とするが、1598年(慶長3)秀吉が亡くなると、再び毛利氏支配下の竹原に戻った。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の年、元吉は毛利輝元より東軍加藤嘉明の居城伊予国松前城攻めを命じられるが、三津浜合戦で討死した。関ヶ原合戦後、毛利氏の防長移封に従い、子元吉を亡くした武吉は遺児元武を連れて周防大島へ移った。それに伴い鎮海山城も廃城になったと考えられる。
標高88メートル山上に位置し、往時は深い湾に突き出た岬であったとされる。本丸を中心として南北に数段の曲輪が設けられていたようだが、現在はかなり崩壊しており、遺構は明瞭ではなく、堀や土塁も特に見当たらない。北側からの登山道途中には村上元吉墓所がある。
城址北側 本丸北郭跡 本丸
本丸に残る石積みは城山神社
建立に伴うもののようである
本丸からの眺め 本丸南側

参考文献 「現地案内板」
                     「広島・岡山の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2015年8月