栃木県鹿沼市茂呂 --南西二の丸から本丸遠望-- |
別名 | 師城・下茂呂城 |
交通 | 東武日光線「楡木駅」下車。 「楡木駅入口」からバス「赤羽根交差点」下車。 |
築城年代 | |
築城者 | 市田氏 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 市田氏 |
築城年代について諸説あり、1570〜73年(元亀年間)、または1573〜92年(天正年間)宇都宮城主宇都宮国綱が壬生氏の本拠である鹿沼城に対する備えとして、黒川以東の多気山城を中心に、府所城・深津城・石川城等を整備した時に築いた支城の一つともいわれる。城主は宇都宮氏に従った市田備中守(市田氏は代々備中守の受領名を世襲したという)とされる。 磐裂神社東側一帯が城址。本丸は個人宅となり、遠望のみに留めたが、裏手に土塁・空堀が残されているようである。本丸に隣接して北の丸・西の丸・二の丸が在ったというが、現在は耕地となり、遺構ははっきりしない。 |
南西に建つ稲荷神社 | 南を流れる馬洗川 | 磐裂神社 |