長野原城

長野原城ながのはらじょう
群馬県吾妻郡長野原町長野原
Mapion
城址登山口地図
--本丸に立つ城址碑--
別名 箱岩城
交通 JR吾妻線「長野原草津口駅」から登山口まで徒歩10分。
南麓、薬師堂から登山道があります。
築城年代 1560年(永禄3)頃か
築城者 羽尾幸全か
形式 山城
主な城主 常田俊綱
築城年代は不明だが、1562年(永禄5)武田信玄が岩櫃城主斎藤憲広を破ると、押さえとして長野原城には真田幸隆の弟常田俊綱(隆永、または隆永の子ともいわれる)が置かれた。
1563年(永禄6)9月、信玄に敗れた憲広は上杉謙信の援助を受けると、農繁期で手薄な長野原城下に攻め寄せた。城方は須川に架かる橋を落として守ったが、憲広勢が須川を押し渡ると、俊綱は手兵を率いて諏訪神社前で防戦する。しかし俊綱が討死すると、長野原城は憲広の手に落ち、羽尾幸全やその弟海野兄弟が入城する。
その後長野原城は再び信玄の手に落ち、湯本善大夫が置かれる。善大夫は武田氏の下で働き、1575年(天正3)長篠合戦で重傷を負って亡くなると、善大夫の甥である三郎右衛門が羽根尾城と共に継いだようだ が、その後廃城となった。
大手門跡とされる南麓、薬師堂から登山道があり、水の手・箱岩を経て本丸に至る。北西端の城址碑が立つ本丸から東へ約700メートル続く細尾根上に100メートル程の間隔で秋葉山出丸・箱岩出丸・物見曲輪等が置かれており、本丸西側には枡形虎口や堀切が残されている。
南麓に建つ薬師堂 登山道途中にある水の手 南尾根曲輪跡
秋葉山出丸 秋葉山出丸・武者溜り 秋葉山出丸・本丸間堀切
本丸虎口 箱岩出丸 物見台

参考文献 「群馬の古城 あかぎ出版」
                  「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
                 「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年5月