青森県弘前市乳井平山 --茶臼館から遠望-- |
別名 | |
交通 | JR奥羽本線「弘前駅」からバス「石川入口」下車。 |
築城年代 | 室町時代中期 |
築城者 | 乳井氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 乳井氏 |
築城者・年代は不明だが、古くからこの地に勢力を誇った福王寺の僧に始まる乳井氏(乳井福王寺)が室町時代に至り、自衛の為、築いたと考えられ、南西の茶臼館も同時期に築城・利用されたものと思われる。(乳井氏の出自については福王寺の修験説と南部氏一族説がある) 1532〜55年(天文年間)玄蕃(覚恩坊)の時、乳井城へ移るが、その後も古館は存続した。1565年(永禄8)玄蕃は大光寺城主滝本重行に暗殺されるが、1571年(元亀2)大浦(津軽)為信が石川城を落とし、津軽統一の旗を挙げると、玄蕃の子大隅(覚林坊)は為信に従い活躍した。 1579年(天正7)六羽川合戦の際、大隅が大浦城に出向いて留守中だった乳井城・乳井古館・乳井茶臼館は占拠されるが、その後奪還している。 |