1579年(天正7) 大浦為信×比山・滝本・北畠連合軍 --津軽忠臣之碑-- |
交通 | 弘南鉄道大鰐線「石川駅」から徒歩40分。 |
1567年(永禄10)大浦城主となった大浦(津軽)為信は、南部氏からの独立と津軽統一を目指す。1571年(元亀2)堀越城を前線基地として挙兵、5月5日津軽郡代であった南部高信が守る石川城、そして小山内讃岐が守る和徳城の2城を1日で攻略した。更に1575年(天正3)大光寺城主滝本重行を、1578年(天正6)には浪岡城主北畠顕村を攻略した。 1579年(天正7)大光寺左衛門の遺児比山六郎・七郎兄弟、滝本重行、北畠顕則連合軍は旧領回復を目論み津軽に侵攻すると、乳井茶臼館・乳井古館・乳井城を攻略し、六羽川ほとりに布陣した。これに対し為信は岩館に本陣を置き、先鋒森岡信元は茶臼館を攻め立て奪還した。その後合戦は全面にわたって激しさを増し、津軽勢は中央を突破されるが、やがて盛り返して反撃に出、敵を南部に敗走させた。この合戦で敵の総大将の一人比山六郎は討死し、また為信も危機に陥ったが、家臣田中太郎五郎が身代わりとなって九死に一生を得ており、田中太郎五郎が討死したという所に津軽忠臣之碑が立つ。 |
六羽川 左奥に津軽忠臣之碑が立つ |
古戦場一帯・津軽忠臣之碑 | 茶臼館から見る古戦場一帯 |