大野田城

大野田城おおのだじょう
愛知県新城市野田
Mapion

--中市場池対岸から城址遠望--
別名  
交通 東名「豊川IC」から車で25分。
築城年代 1562年(永禄5)
築城者 菅沼定盈
形式 平山城
主な城主 菅沼定盈
築城年代は不明だが、1334年(建武1))頃には野田館主富永氏の出城として利用され、1394〜1427年(応永年間)頃は城所浄古斎の砦であったとされる。
1560年(永禄3)桶狭間合戦後野田城主菅沼定盈は今川氏から徳川家康方に転じた為、翌年今川氏真は吉田城代小原鎮実に野田城を攻めさせた。定盈は和議を結び、野田城を開城すると、西郷正勝の下へ逃れた。1562年(永禄5)定盈は野田城を奪還するが、この戦いで野田城が大破した為、この城所浄古斎の旧砦を拡張して大野田城とし、一時本拠とすると、野田城の修築を開始した。
1571年(元亀2)足助城を落とした武田信玄は作手から大野田城を攻めると、定盈は城に火を放って退却し、その後再び野田城を本拠とした。
中市場池南側の農道から入口があり、全体的に藪になっているが、空堀や土塁が確認出来る。

参考文献 「現地案内板」
                  「東三河の史跡めぐり 鈴木健著」
                       「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年1月