龍王山城

龍王山城りゅうおうざんじょう
奈良県天理市田町
Mapion
長岳寺地図

--西から城址遠望--
別名  
交通 JR桜井線「柳本駅」から長岳寺まで徒歩25分。
築城年代 1532〜55年(天文年間)前半
築城者 十市遠忠
形式 山城
主な城主 十市遠勝
十市氏は「長川流鏑馬日記(1384年)」に名のみえる大乗院方の国民で、長谷川党の刀禰として活躍した。大和永享の乱以後、筒井氏と組み、共に戦乱の中で成長し続け、遠忠の時に最盛期を迎える。この頃本拠である十市から天理市の平野部一帯まで十市郷と呼ばれる勢力圏を形成し、十市城とこの龍王山城を共に居城にしたが、山内との繋ぎ城の役割も果たしていた。
1545年(天文14)遠忠が没すると、子の遠勝が跡を継ぐが、筒井順昭・順慶の傘下に入る。
1559年(永禄2)松永久秀が大和に入国し、翌年中に事実上大和は久秀の領国となった。遠勝は筒井氏と共にしばらくは久秀に抵抗していたが、やがて降り、娘の御料を人質として多聞城に入れている。
その後宇陀の秋山氏が国中に進出するようになり、1568年(永禄11)7月、ほとんど抵抗することも無く、龍王山城を明け渡し、十市城に移った。
1577年(天正5)10月、松永一族は信貴山城に滅び、無主となった龍王山城は翌年破却された。
龍王山城は北城と南城に分かれ、北が本城、南が詰城といわれるが、南城の方は古い形態で、北城は後に築かれた(改修)と考えられている。

北城
馬池 城址碑 南虎口
西斜面竪堀群 辰巳櫓北・石積み 本丸・辰巳櫓間堀切
本丸 本丸東下・堀切 堀切側面にある石積み

南城
北堀切 本丸北石段 本丸北曲輪(本丸から)
本丸 本丸から西方 柳本龍王社(馬冷やし)

参考文献 「現地案内板」
                         「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年12月