宇陀松山城

宇陀松山城うだまつやまじょう
奈良県宇陀市大宇陀区拾生
Mapion

--西から城址遠望--
別名 秋山城・神楽岡城
交通 近鉄大阪線「榛原駅」からバス「西山」下車。
バス停から登山口のある春日神社まで徒歩15分。
築城年代 南北朝時代か
築城者 秋山氏
形式 山城
主な城主 福島孝治(高晴)
南北朝内乱期より宇陀の国人として活躍した秋山氏本城。
室町時代初期、秋山氏は沢氏と宇陀郡を両分する勢力を持ち、北畠氏家臣としては宇陀三将の一人として勇名を馳せる。
1559年(永禄2)松永久秀が大和に入国し、その勢力が宇陀に及ぶようになると、秋山氏は松永方に与し、国中に進出する。十市郷を横領し、龍王山城を占拠した。
1585年(天正13)豊臣秀長が入国すると、秋山氏は追放され、秋山城は大和高取城と共に、大和郡山城の支城となり、伊藤氏が入城した。
その後加藤、羽田、多賀氏と、城主は目まぐるしく代わるが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦の軍功で福島正則の弟孝治が入城し、この時秋山城は松山城と改名され、城下町が整備された。
1615年(元和1)福島氏が改易となり、松山城は破却され、代わって入部した織田信雄により陣屋が設けられた。
西口黒門 春日門跡石垣 横堀
本丸下虎口 本丸 天守郭南虎口
天守郭北虎口 本丸北側・切岸 本丸南虎口
天守郭石垣 本丸天守郭・大御殿間空堀 大御殿跡

参考文献 「歴史読本 新人物往来社」
                 「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2009年12月