西条藩陣屋

西条藩陣屋さいじょうはんじんや
愛媛県西条市明屋敷
Mapion

--大手門--
別名             
交通 JR予讃線「伊予西条駅」から徒歩20分。
築城年代 1624〜44年(寛永年間)
築城者 一柳直重
形式 陣屋
主な城主 一柳氏・西条松平氏
1636年(寛永13)伊勢国神戸城主一柳直盛は先祖伝来の地である伊予国5万8千石、播磨国加東郡1万石合わせて6万8千石に加増の上、伊予国西条へ転封となるが、8月19日この地へ赴く途上、大坂で没した。その為遺領は3人の子に分割された。長男直重が伊予国西条で3万石、2男直家が伊予国河上播磨国小野で2万8千6百石、3男直頼が伊予国小松で1万石を相続した。西条藩陣屋の構築年代は不明だが、少なくともこの年に着手されたものと考えられる。
1665年(寛文5)直重の子である直興は失政の為に改易となり、西条藩一柳家は廃絶した。
その後1670年(寛文10)まで5年間、直轄地として代官小島孫右衛門が支配した。同年4月、紀伊国和歌山城主徳川頼宣の3男松平頼純が3万石で入封し、頼純の跡は4男頼致が継ぐが、1716年(正徳6)宗家である紀州藩主徳川吉宗が8代将軍に就任した為、徳川宗直に名を改め、紀州藩主になった。代わって頼純6男である頼安(頼渡)が継ぎ、以降頼英まで10代西条松平氏が続き、明治を迎えた。
現在陣屋跡は西条高校敷地となる。周囲に水堀が残されており、大手門が高校正門として現存している。
東水堀 土塁 北御門

参考文献 「現地案内板」
                           「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2018年7月