桜馬場城

桜馬場城さくらばばじょう
長崎県長崎市桜馬場2丁目
Mapion

--桜馬場中学校に立つ案内板--
別名 鶴城・城の古址
交通 長崎電鉄「新中川町駅」から徒歩3分。
築城年代 室町時代か
築城者 長崎氏
形式 山城
主な城主 長崎純景
長崎氏は1222年(貞応1)長崎小太郎重綱という人物がこの地に来住したという説や在地出身である丹治氏一族の子孫が長崎氏を称した等の説があり、出自についてははっきりしない。築城年代も不明だが、室町時代に俵石城主深堀氏に対抗する為に築いたと考えられる。以後両者は戦国時代を通じて度々争った。
1558〜70年(永禄年間)長崎純景は大村に本拠を置く大村純忠に従うが、深堀純賢は龍造寺隆信と連携し、これに対抗した。1573〜92年(天正年間)純賢は兄である高城主西郷純堯と共にしばしば桜馬場城を攻めた。城下には長崎最初の教会であるトードス・オス・サントス教会等があり、小規模ながら城下町が営まれていたが度重なる戦乱により荒廃したという。
1605年(慶長10)長崎が天領とされると純景は長崎を退去し、筑後国柳川城主田中吉政の家臣となるが、1620年(元和6)田中氏改易後、止む無く時津村に身を寄せ、1621年(元和7)失意の内に没した。
現在の桜馬場中学校敷地が居館跡で、トードス・オス・サントス教会跡である春徳寺裏山(唐渡山・城の古址)が城址とされる。遺構かは不明だが、一部石積みや平場が見られ、山頂には観音堂が立つ。中腹にある「龍頭巌」といわれる大岩には長崎代官末次茂房が父政直の石郭を造ろうとして切り出した時、岩の間から血が滲み出した等の逸話が残されている。
長崎祠記碑
西道仙が記した長崎氏碑
ルイス・デ・アルメイダ渡来記念碑 Mapion
春徳寺
トードス・オス・サントス教会跡 春徳寺裏山(唐渡山)が城址 龍頭巌

参考文献 「長崎歴史の旅 朝日新聞社」
           「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年1月