兵庫県三田市屋敷町 城址碑地図 --城址碑-- |
別名 | 三田城 |
交通 | 各線「三田駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1633年(寛永10) |
築城者 | 九鬼久隆 |
形式 | 陣屋 |
主な城主 | 九鬼氏 |
元々この地には有馬氏により築かれた車瀬城が在ったとされ、1602年(慶長7)丹波国福知山城主有馬豊氏が領したが、1620年(元和6)筑後国久留米城に移ると、有馬氏の三田支配は終わった。1626年(寛永3)出羽国上山城から松平重直が入封するが、僅か6年で豊後国竜王に移る。 その後1633年(寛永10)志摩国鳥羽城から九鬼久隆が入部し、車瀬城を拡充して陣屋を構築した。久隆の父守隆は関ヶ原合戦の際、東軍に従い、戦後父嘉隆の旧領を安堵されるが、1632年(寛永9)死去すると、3男隆季と5男久隆との間で家督争いが起こり、幕府の裁定により隆季は2万石で丹波国綾部、久隆は3万6千石で摂津国三田へ移された。以後13代236年間続くが、九鬼水軍で有名な九鬼氏は山間の小藩になり、新城の築城も認められなかったというが、水軍を忘れない為、堀に使った大池に舟を並べ訓練したという。 居館は大池の北側、現三田小学校の位置に在った。二の丸は内堀を挟んで北側、現有馬高校の位置に在り、古図に「天守閣跡」が明記されているが、これは元の車瀬城の天守跡といわれ、最後まで「三田藩陣屋」であり、天守が造られる事は無かった。 |
古城姫高稲荷参道・堀跡である水路 | 古城姫高稲荷 | 御下屋敷跡 |
旧九鬼家住宅資料館 | 内堀跡 | 大池 正面が居館跡である三田小学校 |
心月院・九鬼氏菩提寺 | 九鬼守隆墓碑 | 金心寺跡 |