多賀谷氏館

多賀谷氏館たがやしやかた
秋田県能代市檜山
Mapion
館址入口地図

--館址入口・標柱--
別名  
交通 各線「東能代駅」からバス「桧山」下車。
バス停から南へ進み、右手に標柱・入口があります。
築城年代 1620年(元和6)
築城者 多賀谷宣家(岩城宣隆)
形式
主な城主 多賀谷宣家(岩城宣隆)
1602年(慶長7)湊城主秋田(安東)実季が常陸国宍戸に移ると、代わって佐竹義宣が秋田に入部した。この時檜山城には佐竹氏家臣小場義成が入城するが、1608年(慶長13)大館城代として移ると、1610年(慶長15)義宣の弟である多賀谷宣家が仙北郡白岩城を経て、檜山城に入城し、この地を支配した。
しかし1620年(元和6)檜山城が一国一城令により廃城となると、宣家は麓にこの館を築いて移り住んだとされる。その後1626年(寛永3)亀田の岩城吉隆が義宣の養子となると、岩城氏の跡継ぎが無かった為、宣家の子重隆が岩城氏を継ぎ、宣家も後見として亀田へ移った。
主郭 建物跡 囲裏門跡
馬場跡 家臣屋敷跡 南西枡形虎口

参考文献 「現地案内板」
           「秋田市史 秋田市」
訪城回数 1
2013年4月