龍野古城

龍野古城たつのこじょう
兵庫県たつの市龍野町北龍野
Mapion

--南東から城址遠望--
別名 鶏籠山城
交通 JR姫新線「本竜野駅」から麓の龍野城まで徒歩25分。
龍野城裏手から登山道があります。
築城年代 1499年(明応8)
築城者 赤松村秀
形式 山城
主な城主 赤松広秀(斎村政広)・蜂須賀正勝
築城者、年代について諸説あるが、1499年(明応8)置塩城を本拠とする赤松政則の側室の子である村秀により築かれたとされ、4代78年赤松氏が続いた(龍野赤松氏)。
1577年(天正5)赤松広秀(斎村政広)の頃、羽柴秀吉による播磨平定2万の軍勢に攻め寄せられると、広秀は戦わずして降伏し、以後秀吉に従って各地を転戦した。1585年(天正13)竹田城主に任ぜられ、1600年(慶長5)関ヶ原合戦では西軍に属し、丹後国田辺城を攻めるが、関ヶ原敗北後、徳川方として因幡国鳥取城を攻めた。しかし城下に火を放った事で家康の忌避に触れ、鳥取真教寺にて自刃して果てた。
広秀に代わって蜂須賀正勝や福島正則、木下勝俊等が入城すると、山麓の曲輪群(近世龍野城)、及び城下町は整備され、この山頂部の山城は次第に放置されるようになったものと思われる。
山麓の龍野城に登山口があり、ここに案内板やパンフレットが設置されている。登山道は整備され、草木も無く、非常に見学しやすい。本丸から堀切を越えて北へ向かうと、番所跡や侍屋敷跡を経由して麓へ下る事が出来る。
城内で唯一明確に確認出来る
土塁を備えた曲輪
横堀状になっている
二の丸 石垣
本丸下曲輪 本丸 本丸石垣
本丸北下石段
八幡社に伴うものか
本丸北虎口石垣 堀切
鳥ヶ撓番所跡 侍屋敷石垣 麓まで伸びる竪堀を見上げる

参考文献 「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
  「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2012年10月