富田城

富田城とみたじょう
栃木県栃木市大平町富田
Mapion

--土塁(城山)--
別名   
交通 JR両毛線「大平下駅」から徒歩5分。
築城年代 1441年(嘉吉1)
築城者 富田成忠
形式 平城
主な城主 富田氏・北条氏重
築城者・年代は不明だが、一説に1441年(嘉吉1)皆川城主皆川氏の一族である富田成忠により築かれたとされ、富田忠宗・富田秀利が続いて在城したという。
1557年(弘治3)秀利の跡を継いだ富田信吉の時、皆川俊宗に攻められ落城、これは秀利が唐沢山城主佐野氏と結んだ為ともいわれている。以後皆川城の南方防衛の拠点として川連城と共に重要視された。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻め後、富田秀重が1597年(慶長2)まで在城し、その後1613年(慶長16)下総国岩富から北条氏重が入部し、富田藩が成立、1619年(元和5)遠江国久野へ移るまで続いた。
現在城址はJR両毛線により分断され、本丸跡は大平西小学校建設の為、消滅しているが、すぐ北側に城山と呼ばれる土塁(築山)が残されており、線路北側の低い水田は堀跡とされる。
城址碑 本丸跡である小学校 土塁・堀跡

参考文献 「とちぎの古城を歩く 下野新聞社」
            「栃木県の中世城館跡 栃木県教育委員会」
           「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2022年5月