千葉県佐倉市岩富 --主郭に建つ浅間神社-- |
別名 | |
交通 | JR総武本線「物井駅」から徒歩50分。 |
築城年代 | 1469〜87年(文明年間) |
築城者 | 原景広 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 岩富原氏・北条氏勝 |
1469〜87年(文明年間)千葉氏一族である原左衛門尉景広に築かれたとされる。1455年(享徳4)古河公方足利成氏方であった馬加城主馬加康胤・小弓城主原胤房が上杉方の亥鼻城主千葉宗家を滅ぼしたのと同時期、原一族の原信濃守は千葉宗家直臣の白井氏を追い、弥富郷に入部した。この岩富(弥富)原氏は孫の景広の時、岩富城を築いて拠点とし、飛躍的に発展、その後後北条氏方として千葉氏を助けて活躍した。 1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めにより後北条氏と共に岩富原氏は滅んだ。その後関東に入国した徳川家康は相模国玉縄城主北条氏勝を1万石で岩富に封じ、岩富城は近世城郭として機能する事となる。 1611年(慶長16)氏勝没後、跡を継いだ養子の氏重は1613年(慶長18)下野国富田に転封され、岩富城は廃された。 鹿島川と弥富川の合流点を眼下に望む半島状台地上に位置する。台地先端の字城手下の主郭は現在浅間神社境内となる。五角形の郭で周囲に土塁を築き、東・南側に空堀を設けている。また主郭下、東から南にかけて下宿・本宿の字名が残り、家臣団屋敷や城主居館等、城下集落が形成されていたと考えられており、城域は広く展開していたと推定されるが、一帯は住宅地となっており、旧状は判然としない。 |
入口に立つ案内板 | 腰曲輪 | 主郭東虎口・土橋 |
主郭東空堀 | 主郭 | 主郭東土塁 |