東大寺

東大寺
奈良県奈良市雑司町

1567年(永禄10)
松永久秀×三好三人衆
Mapion

--東大寺大仏--
交通 近鉄奈良線「近鉄奈良駅」から徒歩20分。
1564年(永禄7)三好長慶が没し、義継がその跡を継いだが、家臣松永久秀と義継の後見役である三好長逸・三好政康・岩成友通の三好三人衆は次第に対立するようになる。その後義継と三好三人衆との間にも確執が高まり、義継は久秀の信貴山城に入城、三好三人衆は大和侵攻の口実を得る事となった。
1567年(永禄10)4月、三好三人衆は池田政勝や筒井順慶と結び、2万の大軍で久秀・義継が籠もる多聞城に迫った。久秀は東大寺戒檀院に布陣し、両軍は至近距離で対峙する。
対陣から半年後の10月10日、久秀は東大寺に布陣する三好三人衆に夜襲をかけ、虚をつかれた三人衆と池田政勝の軍勢は総崩れとなり敗走、筒井順慶も筒井城へ帰還する。この戦乱で大仏殿に火が回り、伽藍・念仏堂・大菩薩院等が焼失した。
翌年再び三好政康に多聞城を攻められ、更に筒井順慶をはじめ、興福寺系衆徒や国人層の反抗に遭い、久秀は窮地に立たされる事となる。そこで久秀は同年上洛した織田信長を頼り、摂津芥川城に在陣中の信長に拝謁した。信長は二条御所を攻められ兄を討たれた足利義昭の反対を押し切って赦し、久秀は麾下に収まる事となる。これにより窮地を脱した久秀は大和平定を進めて行った。

    参考文献  「戦国合戦詳細地図 インフォレスト株式会社」
「歴史群像シリーズ 学研」
2009年3月