長光寺城

長光寺城ちょうこうじじょう
滋賀県近江八幡市長光寺町
Mapion

--二の丸石垣--
別名 瓶割山城
交通 近江鉄道八日市線「武佐駅」から登山口まで徒歩15分。
北西麓、日吉神社から登山道があります。
築城年代 1468年(応仁2)
築城者 六角(佐々木)政堯
形式 山城
主な城主 柴田勝家
1468年(応仁2)観音寺城主六角高頼と対立した六角(佐々木)政堯により築かれたと伝えられる。
1568年(永禄11)織田信長が上洛の際、六角勢が籠るが落城した。1570年(元亀1)4月、越前国金ヶ崎城を攻略した信長が近江国小谷城主浅井長政の蜂起により京へ戻ると、これを見て甲賀へ退いていた六角義賢・義治父子は琵琶湖近くまで進出してきた。信長は六角勢に備える為、守山に稲葉貞通を派遣し、琵琶湖南岸の通路を確保すると、宇佐山城に森可成、永原城に佐久間信盛、長光寺城に柴田勝家を置き、岐阜へ帰還する。
同年6月、長光寺城は六角勢に囲まれるが、勝家は城中の水瓶を割って城兵を鼓舞し、戦いに勝利したといわれる。瓶割山の山名は合戦後、勝家が「瓶割り柴田」の異名を取ったという伝承に由来する。その後勝家は佐久間信盛と連携し、野洲川北岸の乙窪で六角勢を破った。
1576年(天正4)安土城が築かれた頃、長光寺城は廃城になったと考えられる。
標高234メートル、瓶割山頂の本丸を中心とし、南北に二の丸・三の丸が設けられている。本丸西側にある6メートル以上の高石垣をはじめ、城内には部分的に石垣も残されている。西麓には根小屋と考えられる区画が存在し、現在も土塁が残されているようである。
三の丸(米蔵跡) 土橋 土橋脇空堀
本丸 本丸・二の丸間土橋 本丸石垣
井戸跡 二の丸 二の丸南堀切

参考文献 「近江の山城ベスト50を歩く サンライズ出版」
     「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年4月